僕は街が好きです

個人店が生き残っているのは、ごく一部で、全国津々浦々、どこへ行っても全国区のフランチャイズ・チェーンやコンビニばっかり。それも地方へ行けば行くほど選択肢が少なくなる感じ…「ファスト風土」という警告も馬耳東風。今も、このファスト風土は加速度的に増殖していっています。

今や「街が何を失ったか」は誰の目に鮮やかに手に取るように判ります。

そして

「街」だけでなく 僕らも何かを失いました。

行政が規制をかけているわけでもないのに全国津々浦々で「同じような結果」が出る。個人店が提供できるコーヒーの値段に消費者が支払える金額が追いつかないんだから仕方がないという人もいます。もとより「モダニスムとはそういうことだよ」という人もいます。

でも、なんだか、やっぱり切ないな。 …だから

 全国区のフランチャイズ・チェーンにも見放されたような商店街に、若者がお店を開いてくれる。
有り難いと思っています。
彼らを応援することができるくらいには働いていきましょう。僕は「街」が好きです。

旅人

都市、特に大都市においては、仮に定住的に暮らしていても、ずっと旅人のような気分でいた方がよいのでしょう。いつも「よそ者」で、だから遊歩者のような視点を持つ。孤独についても、それを愉しめる方がよい…そんな感じ。

空間に思い入れを

大都市に生まれ育ってきた人間は、空間に思い入れを持つべきではないんだろうなと考えています。だって、震災や戦災やビジネスな再開発で、空間はあっけなく変貌を遂げるから。
せめて「店舗ほどの空間は」と思いますが、十代の後半から、かれこれ四〇年は通い続けている自由が丘。あの頃からあるお店…片手で充分に数えられる程度…ですもんね。

誰もいない住宅街を歩いている

夏休み 人を避けるように駅前を離れ、商店街から遠ざかり、結局、昼間の誰もいない住宅街を歩いている…そういう時間が好きでした。小学校の高学年頃かな。沖仲士が闊歩する街からサラリーマンの街へと転校したこともあって、もう、本音は封印していました。今度の同級生たちとライフスタイルや価値観が違うのは一瞬にして判りましたからね。

それは「病」か

最近の僕は「糖尿病」を「病」と定義していいのかなと思っています。糖尿病は「生活習慣病」とカテゴライズされるわけですが、個人的な生活習慣がどうあるかより「遺伝子のあり方に拠る」の方が要因として、はるかに大であるというのが最近の研究結果です。厳しい自然環境にいて滅多に食べ物を口にできなかった1万年以上昔のご先祖様が、その少ない食料から集約的に「糖分」を摂取するために進化した。その時のご先祖様の身体にしてみれば、こんなに楽チンに糖分の摂取が可能になるとは思いもよらず、故に摂取過多になってしまう。少なくとも「個人的」な「病」ではなく、アレルギーなどと同様に「体質」と理解した方がいい…

本格的な治療を受け始めて4年くらいかな。最近の僕は「糖尿病」を、そのように捉え直しています。

つまり「いかに直すか」ではなく「どう付き合っていくのか」

こうして考え方を転換するだけで、ずいぶん違います。実際「どんな薬を選ぶか」より「どういう食べ方をするか」だったりします。もちろん「体質」ですから個人差はありますが、僕の場合、「うどん」よりも「蕎麦」の方が血糖値が下がりにくく、HbA1cの数値で言えば、ラーメン続けて食っちゃった時の方が数値が悪く(HbA1c=即時の血糖ではなく、ある程度の長さの期間の血糖値の平均点みたいなもの、一定以上に高いと高血糖な状態が続いていたということになる)、これはよく言われることですが「夜中に夜食」はガツンと効く。逆に、少し食い過ぎたかなと思っても「昼間」なら、あまり影響しないなど…

このあたりのことを指して「生活習慣病」というのかもしれませんが、でも僕は「病」と捉えない方がいいのではないかと思うのです(「病」だと思っちゃうと治らないので治療にバテてしまいます)。

なにしろ、人間は「物語」から行動に出ますからね。頭にイメージを浮かべて、それを設計図に起こし、実際の建築物にしていくのと同じです。

僕ら人間は、思った以上に「物語」とともに生きています。「人間そのもの」が「物語」とも言えます。

だから「病」と定義するか。「体質」なのかは、大きな違いだったりすりするのです。

「孤独」は「孤独」なりに

職場もマニュアル・レーバーな単純労働な、「食べる」はスーパーかコンビニ。一人暮らしとなると、誰とも口をきかず、孤立して生きることは簡単です。スマホがあっても、それはコミュニケーション・ツールではなく、有り余る「一人の時間」を埋めるための暇つぶしのための道具。東京砂漠を一人で漂流していても、それでも続いていく人生です。

機械とメディアに囲まれている僕らの生活…見渡せば威圧的な高層の都市景観です。

早く逃げ出さないとたいへんなことになるような気がします。はまっちゃうと身動きができなくなり、公的な年金が充てにならない時代に都市を漂流することになる…

そりゃ苦しかろうと思うのです。

年金だけじゃなく、インフレの時代には貯金も充てになりません。

たぶん「孤独」が気楽でも「人」だけが頼りになる。「孤独」を謳歌することができるのも、あの高度成長期の余韻が残っている今だからこそなんでしょう。近く、「フリコメ」などの特殊詐欺犯…彼らがターゲットを失う時代が来ます。

「孤独」は「孤独」なりに、今のうちに救命ボートを用意しましょう。

パンフレットの類

「投資」=「増やす」のイメージがあります。そして「外貨預金」といえば「投資」のイメージがるように思います。でも「減らさないために外貨預金」という考え方もあるというわけです。もちろん日本の郵便局や銀行に貯金するよりは、はるかに知識も必要だし、面倒ですし、不確実ですが、日本円が激しいインフレにふれていくのなら、お金を減らさないための「有効な選択肢」になるかもしれないのです。
文字どおり、勉強しても損はない…といったところでしょうか。ただし銀行などが発行するパンフレットの類を教科書にしないこと。これは鉄則です。